「つまずき」ではなく
(マルコによる福音書6章1~6節)
本日の福音書には、イエスの教えを聞いたイエスの故郷の人々が、「イエスにつまずいた」と記されています。聖書の原文のギリシア語では、「つまずき」という言葉は、「スカンダロン」という単語が使われています。このスカンダロンはもともと、鳥獣を捕らえるワナの支え棒をさす言葉です。このワナの支え棒をさす「スカンダロン」が、物事を悪い事態に導く機縁、原因、という意味になり、日本語で「つまずき」と訳されました。このスカンダロンは英語の「スキャンダル」の語源になりました。「つまずき」は悪い事態、また罪の状況に、人を導き、誘う、きっかけとなるものです。
イエスの故郷の人々は、イエスの教えに驚きましたが、イエスを自分たちの地縁、血縁の関係の中でとらえ、「この人(イエス)は我々と一緒だ」と決定づけます。しかしこのことが「つまずき」となったのです。イエスのみ言葉と行いを、自分たちの理解、認識の範囲の中でのみとらえ、イエスによって、自分たちが新しく神と共に生きる、という世界に入ることはできません。
イエスと出会い、イエスと共に生きるという、信仰の歩みは、自分の理解、認識というワクを絶えず越えていくことが求められている出来事なのです。イエスは「出会い」であり、「つまずき」ではありません。