「復活の姿」と「復活の意味」を悟る
(ルカによる福音書24章36b~48節)
復活のイエスは、弟子達の真ん中に現われて立ち、「あなたがたに平和があるように」と言いますが、弟子達は亡霊を見ているのだと思い、恐れおののきます。その弟子達にイエスは、「わたしの手や足を見なさい」「触ってよく見なさい」と言います。弟子達は、復活したイエスを見ても亡霊だと思い、まさしくよみがえったイエスだとはとらえません。それは、復活したイエスを、弟子達が「ほんとうに見ている」ことにはなりません。だからこそイエスは、弟子達に、「わたしの手や足を見なさい」「触ってよく見なさい」と言うのです。うわべの像を見るのではなく、まさしくよみがえったイエスを「ほんとうに見て」「悟る」ことを、弟子達は求められているのです。そしてイエスは、弟子達がそのようにできるように、自らがすすんで魚を食べられました。実体の無いむなしい体の「亡霊」ではなく、しっかりと食物を食べる、実体の体をもったご自分であることを、イエスは自ら示されたのでした。このようにしてイエス自らが、復活したご自身を悟らせるように、弟子達の心の目を開かれたのです。
さらにイエスは、弟子達の「心の目を開いて」、聖書に書かれている救い主(メシア)の苦しみと復活は、まさにイエスご自身のことであったと、弟子達に悟らせます。
復活したイエスの姿を見る、ということだけでは、何の意味もありません。イエスが復活したという出来事の意味を悟り、イエスを救い主として受け入れ、ますますイエスと深く出会っていくことが求められているのです。