愛を貫くイエス
(マルコによる福音書1章29~39節)
イエスは、悪霊に取りつかれている人を救うために、悪霊をその人から追い出します。それはイエスの現わされた神の愛の現れです。神は全能者として、悪霊を送る悪魔を知り尽くし、あらゆる罪と悪事と偽りを知り尽くしておられます。そして神は、何よりも、すべての人が一人も滅びないようにと、人を愛しておられます。たとえ罪人であっても、神は愛しておられるのです。そしてその人に働きかけるのです。その神の愛の働きを、イエスは生涯を通して実行されました。神は、罪と悪に対する、怒りと裁きの心をもっておられます。しかし同時に罪と悪から人が立ち返るようにとの、愛と赦しの心をも、神はもっておられるのです。そのことを、イエスがまさに現わされました。
悪霊は、イエスのその姿を知っています。しかし悪霊は、人々に、イエスの愛と赦しの心を示そうとはしません。それよりも罪に対する怒りと裁きだけをイエスは問題にしている、と人々に伝えようとします。「イエスが人から悪霊を追い出しているのは、イエスが罪や悪への怒りと裁きだけを問題にしているからだ」と言おうとするのです。
しかし、本日の福音書には、その悪霊の策略に対するイエスの姿勢が記されています。「多くの悪霊を追い出して、悪霊にものをいうことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。」(34節)と。イエスはどこまでも愛と赦しのみ業を貫かれた、ということを、私たちは決して忘れてはなりません。