今の「この時」
(マルコよる福音書13章33節~37節)
本日から御子イエス・キリストの誕生をお迎えする、降臨節が始まります。そして本日の主日から、教会暦では新しい1年が始まります。クリスマスを迎える前の、教会暦での一番初めの今日、福音書を通して、「気をつけて、目を覚ましていなさい。」というメッセージが語られます。そして、「その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」とイエスの言葉は続きます。神さまにとって、そして私たちにとって、重大な「時」があります。その時を、私たちは気をつけて認知していなければならない、と今日の福音書は教えます。私たちが歩んでいる、今の「この時」は、私たちの救い主がこられたという出来事のうちにある、ということをしっかりと知ることが求められています。クリスチャンは、時を見分け、時をわきまえている者です。この原点に立って、教会暦の新しい年を出発し、これから訪れるクリスマスを迎えていこう、というのが本日のメッセージです。
本日の福音書の冒頭にある「気をつけて」という言葉は、聖書の原文のギリシャ語では、「ブレポー」という単語が用いられており、この言葉は、「よく見なさい」「よく見分けなさい」「よくわきまえなさい」という意が強い言葉です。日本語で「わきまえる」とは、「弁える」と書きます。この<弁>は元々、[異なった両者のちがいをしっかり認識し、両者の橋渡しとなって、ことを滞りなく進めていく]という意味です。ポンプの弁は、水の逆流を防ぎ、水を同方向へスムーズに流します。関西弁や東北弁という言葉は、それを語れる者にお互い同士のスムーズなコミュニケーションを与えます。弁明することによって相手に共通理解を与え、お互いの関係をより深いものとすることができます。今の「この時」を弁える(わきまえる)ことによって、私たちは、「この時」を、私たちの救い主がこられた「あの時」の出来事のうちにあることを自覚し、ますます神との関係を強めていくことが求められています。