愛の実践
(マタイによる福音書22章34~46節)
本日の福音書でイエスは、「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」と語っています。ここでイエスは、第一、第二として、二つの掟を示されていますが、これは重要性の序列として並べているのではありません。この二つがあってこそ、最も重要な掟が表わされる、と教えているのです。隣人を愛することは神を愛することと同じであり、神を愛することとは隣人を愛する「愛」と同じ「愛」をもって愛することである、とイエスは示されるのです。
イエスを陥れようとするファリサイ派の人々は、文字や口伝で昔から伝えられている多数の掟を知識として知っており、それらを誰よりも守っていると自負していました。ですから彼ら自身、「これが最も重要な掟だ」と一つの掟を限定することはできませんでしたし、多くの掟を重要としているからこそ、彼らはその知識と、多くの掟を守る自らの姿勢を、自負していたのでした。その自分たちが、最も重要な掟を一つ定めることを避けていたにもかかわらず、イエスにそれを示させ、「では他の掟は重要ではないのか」と、責めようと考えていました。
イエスは、ファリサイ派の人々のその悪意を突き破って、神と隣人への「愛」の実践を教え示します。多くの掟を知り、それらの掟をどれほど守っているかを自負し、そうでない人々を非難し、罪人に定めている彼らに、イエスは、「愛」をもって行動することの最重要性を明示します。「愛」を掟に関する知識としてだけとらえていた人々に、イエスは、愛の実践こそがなければ、掟も知識もすべてが空しいことを示されるのです。