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5月3日 イエスを門とする

イエスを門とする
(ヨハネによる福音書10章1節~10節)

 「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。」本日の福音書を通して、イエスは私たちにこうはっきりと伝えます。私たちは「門」と聞けば、どこの、どのような門を思い起こすでしょうか。家の門、学校の門、公園の門、工場の門・・・。門にはいろいろありますが、しかし「門」ということを思い起こせば、囲われている所という意識と、その囲いの中にある建物やそこにいる人々のことを考えます。
 神に守られ、生かされる人々を、羊にたとえられる中で、イエスが「わたしは羊の門である。」と言ったことについて、大きく三つの意味が示されています。門は、その囲いの中の人々を代表します。門構えという言葉があります。門構えがどっしりと安定し、堂々としていることは、その敷地の中、囲いの中にいる人々の自覚や生き方、姿が、どうであるのか想像がつきます。イエスは、神に生かされる者たちの姿を代表している、ということです。イエスの姿は、神に生かされる私たちの、あるべきあり方を表しているのです。これがイエスは門である、という第一の意味です。次に、門はその囲いの中にある者をしっかりと守ります。門がしっかりとしていれば、外敵や強盗の侵入を防ぎます。羊の群れを囲んでいる囲いの門が、いい加減でずさんであれば、そこから略奪者や野獣が侵入し、羊は悲惨な状況になります。イエスはその命をかけて、囲いの中にある私たちを守って下さっているのです。これが第二の、イエスが門であることの意味です。そしてもう一つ、囲いの門の意味があります。それは、囲いの中にある者が、囲いの外に出たり、また戻って来たりする時、どうしても必ず通過しなければならない所として、門があるということです。羊は朝、生きるための牧草を得るために、門を通って外に出て行きます。そして夕刻、安全な囲いに入って夜間に命が守られるため、門を通って囲いに戻ってきます。イエスは、「わたしは羊の門である。」と言いました。私たちが神の恵みに生かされていくために、どうしても通らなければならない所。それはイエスがしっかりと構えて下さっている、招きの門です。
 いかなる状況にあっても、私たちの心の門をイエスとして、構えていることが求められています。

礼拝案内 Service

日曜日(第一日曜日を除く)
Sunday(except for first Sunday)

7:30 聖餐式 (Holy Communion)
9:30 日曜学校 (Sunday School)
10:30 聖餐式 (Holy Communion)
17:00 夕の礼拝 (Evening Service)

第一日曜日 first Sunday
9:30 日曜学校 (Sunday School)
10:30 朝の礼拝 (Morning Service)
17:00 夕の礼拝 (Evening Service)

■10:30からの礼拝には手話通訳があります。

聖日 Holy Day
7:30 聖餐式 (Holy Communion)

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