(ヨハネによる福音書 1:10–18)
ヨハネはまず、「世は言によって成ったが、世は言を認めなかった」という痛ましい現実を語ります。神の光が差し込んでいるにもかかわらず、忙しさや不安、怒り、あきらめが、その光を覆ってしまうのです。家計や将来への不安、仕事や家庭の重荷、他者との比較、災害や戦争の報せなど、現代の私たちの生活には心を曇らせるものが多くあります。
しかし福音はここから始まります。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」。神は遠くから審く方ではなく、私たちの生活のただ中に来られました。寒さや空腹、涙や孤独を知る方として、私たちの痛みを引き受けてくださったのです。
エレミヤ31章は、捕囚の苦しみの中にいた民への約束を語ります。主は嘆く民を見失わず、集め、導き、慰め、回復へと連れて行かれる。その約束の成就が、御子の受肉において始まりました。苦しみが消えるのではなく、苦しみの中で主が共におられるという希望です。
ヨハネは「満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた」と語ります。私たちは不足に目を向けがちですが、主は今日を生きる力を与えてくださいます。失敗を抱えたまま立ち上がる力、恐れの中でも祈りへ向き直る力――それが恵みです。
「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」。主は私たちを裁き落とすためではなく、立ち上がらせるために来られました。御子の姿において、見えない神の愛が示されたのです。
だから私たちは、一人で抱え込まず、教会という交わりの中で光を分かち合います。「闇は光に勝たなかった」。闇は深くても、最後の言葉を持ちません。祈りの言葉が見つからないとき、ただ「主よ」と呼ぶだけでよいのです。主は私たちの生活のあらゆる場所に宿っておられます。
「光のうちを歩む」とは、強く前向きでいることではなく、闇を認めつつ、主が共におられると信じて小さな一歩を踏み出すことです。「愛にとどまる」とは、弱い自分のまま主の愛の中に置かれ続けること。主は乾いた心を潤し、疲れた魂を満たしてくださいます。
降誕の主の光を見上げ、御子の愛にとどまりながら、不安の時代にあっても希望を携えて歩んでいきましょう。光は私たちの歩みに寄り添い、明日への一歩を備えてくださるのです。